ホワイトラプソディ




放課後、近付く春休みに向かって膨らむ待望感と、新たに迎える学年への不安感と寂寥感が混ざり合った不思議な空気の中、栄口は待ち合わせに指定された図書室の中で一人、カウンターから遠くにある窓の外を眺めていた。
「栄口いる?!」
近付いてくる足音の後、乱暴な動作で部屋の扉が開けられ、栄口は部活仲間が姿を現したのをゆっくりとした動作で振り返った。

「静かにしなよ、水谷。ここ図書室だぞ?」
咎めるように言うと、本人は謝りながら肩を竦めた。
「で、話って何?水谷も部活行くんだろ?」
今日の昼間、メールで送られてきた案件を、栄口は口にした。
生徒は誰も居らず、退屈で仕方の無い司書役だが、決められた時間までは居つづけなければならない為、栄口は一人でそこにいる。
相方の生徒がいる筈なのだが、何の連絡も無く姿を見せないところを見ると、やる気の無い生徒だったのだろう。
自分の責任感が恨めしくなりながら、栄口は水谷が息を整え終えるのを待った。
「部活、行くけど、その前に渡したいものが、あって……」

小さく咳をした水谷は、そう言うと自分の鞄をあさり、スポーツメーカーのロゴの入った紙袋を取り出した。
「何?これ」
何かがもらえるのだろうという事は、事前に分かっていたが、栄口は敢えて何も分からないよ、といった風を装って尋ねた。すると水谷は満面の笑みで「プレゼント!」と潜めた声で囁いた。
「バレンタインにさ、俺また栄口のこと怒らせちゃったでしょ?だから大分遅くなったけどそのお詫びと、今日はホワイトデーだから、俺から栄口に」
受け取って、といわんばかりに差し出されたそれに手を伸ばすと、頬が熱くてたまらなくなった。

分かっていたのに、彼からプレゼントがあるというのは分かっていたのに、いざこうしてそれを目の前にすると、心臓はばくばくと煩く鳴って、顔はひとりでに湯気でも上げそうになるくらいに熱くなる。
「あ、りが、とう……」
思わず自分達のエースのように、つっかえながら礼を言うと、水谷は心底嬉しそうに笑った。
「俺とねーお揃いのデザインで色違いにしたんだ」
水谷の言葉を聞きながら、栄口が紙袋の封を開けると、そこには新品の黒いバッティンググローブが入っていた。

阿部にリサーチをかけられた時、ちらりとぼろぼろになってきたと話したのだが、やはり水谷に情報は流されたらしい。
嬉しい。
あまりに嬉しくて、目頭が熱くなり始めた。
「栄口?」
俯いてしまった栄口の様子に、水谷が不安げに問いかけてくる。その声を聞いて顔を上げると、栄口は満面の笑顔を浮かべた。

「ホントにありがと水谷。俺も、渡すものがあるから、こっち回ってきなよ」
「なになに?」
水谷に貰ったバッティンググローブを仕舞い込み、その代わりに三橋の家で花井、泉、三橋と共に作ったスティックパイを取り出した。

全員、色々な形のパイを作り、栄口は細長い棒状のものを作った。
ふにゃふにゃとした感触が何だか頼りなくて、触るのに抵抗があったのもあるが、自分の気持ちが水谷に真直ぐに伝わるようにという、決して口には出せない願いも籠もっている。
「え?何これ?もしかして作った?」
カウンターを回りこんで、自分の隣の司書席に座り込んだ水谷が、手元を覗きこんできて歓声を上げた。
「うん。この間ちょっとね。バレンタインの時は渡せなくて、俺の方もごめん」
栄口は言いながら、透明な袋に入れて、黄緑色のリボンで封をしたそれを差し出した。

「はいこれ。卵塗りつけて、砂糖をかけただけだから、味に問題は無いと思うよ」
自分もバレンタインデーには聞いた科白だ。
女の子達はこんなに不安な気持ちを抱いたりするのだろうか。
なんの変哲も無いお菓子を渡すだけなのに、持った手は震えそうだ。
「ありがとー!うわーすっごい嬉しい!食べても良い?」

受け取るなり、パタパタと揺れる尻尾の幻が見えそうな水谷は、問い掛けながら封を開けていた。
「水谷の好きなように」
自然と零れる笑みを浮かべてその様をじっと見つめると、何か飲み物も用意してやればよかったな、と思う。
「うーんおいしい!栄口って、お菓子作りも上手―!」
他の人間ならお世辞だろうが、いつも本心からの言葉を素直に口に出す水谷の言葉に、栄口は胸の底に温かいものが広がるのを感じた。

嬉しがらせるだけのつもりだったけれど、予想以上に自分も喜んでしまった。
これは何か追加しないとフェアじゃない気がする。
「もう一本v」
口の端にパイのかけらを付けながら、水谷が次のスティックを口に入れるのを見て、栄口はちょっとしたイタズラじみた事を考え付いた。
「そんなにおいしい?」
「うん!」
その長さのため、一度には口に入れられないパイを、咀嚼する度に上下に動かしながら水谷は目を細めた。
「じゃ、俺も味見する」
本当は、三橋の家で作った時に済ませている。それはただの口実だった。

手に持っている袋の中にある、別のパイを差し出そうとした水谷の手を自分の手を重ねる事で止めて、栄口は椅子から腰を浮かせ、隣の席の水谷に向かって身を乗り出した。
そして、驚きに目を大きく瞠った水谷を余所に、栄口は水谷の口からはみ出していたパイの端を口に含んだ。

充分な長さがあるわけではないパイは、二人の口に含まれてしまえば、その姿は消えてなくなる。

「ん。おいしい」
自分の口の中のものを噛み砕き、飲み込むと、栄口は体を起こした。
「これなら上出来だね」
「さ、かえぐち……」
もごもごと口を動かしながらも、口元はパイを持っていない手で隠した水谷は、薔薇の花よりも赤い顔をして、栄口を見上げた。
「不意打ちはひきょー……」

驚き照れて、嬉しそうな水谷の様子に、栄口は幸せな笑顔を浮かべた。





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