ホワイトラプソディ




学校でなんか、絶対ぇに渡せなかった。
前もって準備したは良いけど、いつ渡すべきかタイミングが計れねぇし、結局その日の練習が終わった後、風呂と夕食を済ませてから直接家を訪ねる事にした。

朝の内に「今日家に行くからな」と約束は取り付けといたから、家に返ってから大急ぎで準備を整えた。
今日と明日の午前中はバイトも無いっていってたし、ゆっくり過ごす事が出来るからと聞いていた所為か、俺は準備をしながらも逸る気持ちのせいで、一人焦っていた。
「孝介?あなたまた浜田君のトコ行くの?」
「あ?言っといただろ?今日はパワプロ対決なんだよ」
「あんまり迷惑掛けるんじゃないわよ?浜田君にもご近所さんにも!」
おふくろの小言を背中で聞きながら、俺は街灯だけが照らす夜の闇の中に飛び出すと、着替えと財布と携帯、そして大事な物の入ったデイバッグを背負って、自転車に跨ると漕ぎ出した。
念のための着替えは余計だったか?と思いながらも、以前用意せずに行ってとんでもない目に合ったから、用心の為だ、と自分に言い聞かせた。

自宅から五分ほどの浜田のアパートに着くと、見慣れた人影が、目指す場所の玄関の前に座り込んでいるのが見えた。
「何してんだ?浜田。んなトコで」
自転車から降りて、まだ少し肌寒い時期だってのに、部屋着の上に上着を一枚羽織っただけの格好の浜田を見て俺がそう声を掛けると、浜田が「お前を待ってたんだろ?」と困ったように笑った。
うわっ、恥ずかしい奴。

「んな格好で外居ると風邪引くぞ?」
「冷てぇなぁ泉は……ま、そこもかわいんだけどv」
語尾にハートマークつけるような喋りをしながら立ち上がった浜田に、俺は腹目掛けてニーキックをお見舞いしてやった。

狭いけど、まぁ男一人が生活するなら何ら問題の無い大きさの部屋は、ちゃんとあっためてくれてて、まだ春先の所為か、上着を脱ぐと肌寒い感じがした俺は、ありがたくその恩恵にあやかった。
あんま厚着すんの好きじゃねぇんだよな。
「もー泉は全然容赦ねぇんだから……」
どうも良い所に極まったらしく、しばらく外で咳き込んでた浜田が、俺の後に続いて部屋の中に入りながら、溜息混じりに呟いた。
「っせーな。浜田が変な事いうのが悪ぃんだろ……って、ナニコレ?」

バッグの中に仕舞い込んでおいた、花井先生指導によるお菓子を取り出そうとバッグの口を開けながら、浜田を振り返ろうとして台所もついでに視界に入れてしまった俺は、ちょっと自分の目を疑った。
「あ、これ?今日はホワイトデーだしさ、ちょっと頑張って作っちゃった」
そう言って、水谷に似た笑いを浮かべた浜田に、俺は呆然とした。
俺の視界に飛び込んできたもの、それは見事なチョコケーキだった。
「いやー俺って結構お菓子も上手く作れんのな。初めて作ってみたけど、スポンジもそれなりに膨らんだんだぞ」
ちょっと自慢げな浜田の様子に、俺はだんだん腹が立ってきた。
あーくそ!なんで俺、さっきまで浜田に会えるのを楽しみにしてたんだろ!おまけにこんなに色々用意しちゃって!

「いずみ?」
「……んだよ」
「どうした?」
「何が」
「何がって……泣きそうな顔してんぞ?」

俺は自分の気持ちをずばり言い当てられて、頭に血が上るかと思った。
けど、次の瞬間には背負ってたバッグを浜田に向かって投げつけてた。
「ぅわたっ!あっぶねー!中身出ちまうぞ?」
「大したもんは入ってねぇよ!ってか、やっぱ俺帰るわ」
「は?!ちょっと待ってよ泉」
鞄を抱えたままの浜田の脇をすり抜けて玄関の方に行こうとした俺は、浜田に二の腕を掴まれてその場に足止めされた。
「待てよ、泉」

あーもう!くそ!反則だろその声!
普段は絶対に聞けない、オクターブくらい低いんじゃねぇか?っていう浜田の声に、俺の中の抵抗心が脆くも崩れ始める。
「何があったんだ?チョコケーキ嫌いなのか?」
「……んなんじゃねーよ……」
もう野球はやってねぇのに握力はまだまだ健在だからか、掴まれた腕はびくともしなくて、俺はその場に立ち尽くしたまんま、顔だけ背けた。
「いずみ、言ってよ。何が欲しい?」

俺の持ってきた鞄を足元に置いて、浜田が俺を抱き寄せるように正面切って向い合う自分の方を向かせる。
「田島に聞き出してもらうように頼んだけどさ、お前、タイムマシンとか欲しいって言ってるって言うしさ……で、俺なりに考えてみて、ケーキ作ってみたんだけど、駄目だった?」
なんか、縋り付いて来る犬みたいな目で見られて、俺はもう抵抗できなくなった。
だってさ、知らないにしても当て付けみたいに思えんだろ?俺はすっげえ簡単なパイで、浜田があんな旨そうなケーキだなんてさ!

俺は無意識に、自分のバッグに入ったままになっているパイの方に目を向けた。そしたら、浜田も俺の視線に気が付いたのか、バッグの方を向いた。
「何?これ」
言いながら、浜田は俺の腕を掴んだまま、バッグを足元に下ろし、その中に手を突っ込んだ。
「あ!こら何してんだ!」
いくら親しい仲でも、勝手に人の荷物漁ってんじゃねぇ!と怒鳴ろうとした時、浜田が見つけ出したものに俺は青くなった。
「スティックパイ?……もしかして、俺に持ってきてくれた訳?」
明らかに手作り感たっぷりのそれを見て、ちょっと嬉しそうにそう言った浜田の様子に、俺は血の気が引いた頭に、あっという間にそれが戻ってきたのが分かった。すっげー顔が熱い!脳ミソ沸く!
「ち、ちげーよ!は、花井が!そう!花井が作ってたから、ちょっと貰っただけだ!」

俺の反応に、浜田の顔に「分かったぞ?」って感じの、嫌な笑が浮かぶ。
「ふーん。花井が?」
うぅ!ニヤニヤしやがって!
「あーもう!そうだよ!三橋とかも一緒に、皆で作ったんだよ!ってか浜田も何だよあれ!何であんなに旨そうなケーキ作れんだよ!」
「えー?そりゃあ頑張って練習したからに決まってんだろー?あーもう泉ったらかーわいーのなーv」

にやにやと、どっかの酔っ払いの親父みたいな顔で、幸せそうに笑いながら顔を寄せてきた浜田に、俺は壁に追い込まれるような形で掠めるようなキスをされた。
「ありがと、いずみ」
穏やかな湖面みたいな目で囁かれると、俺はもう何もかもどうでも良くなった。
「来年は覚えてろよ?チョコケーキより立派なスイーツ作ってやる」
「期待してるv」
掴まれていた腕を開放されて、俺は浜田の首に腕を回すと、もう一度寄せられた唇に、自分から近付いた。



「あー……着替え持ってきて正解……」
「んー……?何か言ったぁ……?」
気だるげだけど、満足したような声で、枕に顔を突っ伏していた浜田が聞いてきたけど、俺は何でも無い、って答えて、浜田の側に自分の生まれたまんまの姿の体を寄せた。

浜田はそのまま寝ちまったのか、俺が体を寄せた事にも気付かずに、規則正しい呼吸を繰り返してる。
……タイムマシンが欲しいって言ったのは、半分本気だった。
もし、昔に戻る事が出来るなら、浜田の腕がどうにもならなくなる前に、何とかしてやりたいと思ってたから。
けれど、よくよく考えてみると、それはちょっとまずいんだよな。
だってさ、浜田には悪いけど、浜田が肘をおかしくしたりしなかったら、こうして同じクラスで一年を過ごしたり、こういう関係になってなかったりしたかもしれねぇもんな。
もし、今度誰かに欲しい物は?って聞かれたら何て答えようか、とか考えてるうちに、俺も眠気に負けて、大好きな相手の匂いに包まれて眠りに落ちた。





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